雨の中の旅立ち

本文 門出したる所は、めぐりなどもなくて、かりそめのかや屋の、蔀(しとみ)などもなし。簾(すだれ)かけ、幕など引きたり。南は遥かに野の方見やらる。東西(ひむがしにし)は海近くていとおもしろし。夕霧たちわたりていみじうをかしければ、朝寝(あさい)などもせず、かたがた見つつ、ここを立ちなむこともあわれに悲しきに、同じ月の15日、雨かきくらし降るに、境を出でて、下総(しもつき)の国のいかだといふ所にとまりぬ。庵(いほ)なども浮きぬばかりに雨降りなどすれば、おそろしくて寝(い)も寝られず、野中に、丘だちたる所に、ただ、木ぞ三つたてる。その日は雨に濡れたる物ども干し、国に立ちおくれたる人々待つとて、そこに日を暮らしつ。

訳 いまたちの館は建物の周りの塀もなく、一時的で粗末なすまいで雨戸さえ無かった。すだれや、幕など張り巡らし、内部が見えないようにした。南側の景色は遥か遠くまで緑の平原であった。東と西の方向の景色は海岸が続き、これまで見たことのない新鮮で心ひかれる風景であった。夕方になるといったいに霧がたちこめるので平原や海岸の景色に風情があった。夜は深く眠れず、朝は早く起きた。あちらこちらの家の周りの景色を楽しむことができる。でも、ここを立ち去ると言うことです。なんとなく、寂しい気持ちになりますが9月15日ここを立ち去るということが決まった。この日はあいにくの大雨で空は真っ黒厳しい旅立ちとなった。上総の国境をこえて、下総(しもつさ)の国に入った。その日は「いかだ」という所で一泊した。久造した粗末な仮小屋で、激しい雨が恐ろしくてこのまま流されていくのではないかと不安で一睡もできなかった。幸い朝になり、雨はやんだ。外を見ると野中に、丘のような小高いとこがあり、木が3本立っていた。そこで雨に濡れた物を乾かし、上総を遅れて出発した人々を待ながら、ここで一日を暮らそうと言うことになった。

学ぶ
・上総での暮らしは大きな建物で囲まれた生活であった。しかし、いまたちではでは質素な仮小屋であったが、13歳という孝標女にとっては見た事もない風景が広がりめずらしく楽しめた。いかだというところは激しい雨の旅となり、これから先の旅が思いやられる厳しいものになりますよという暗示にもなるが、早く都に着いて、おおくのものがたりが読めますようにと希望に満ちた旅の始まりだった。
・国司の帰国の一団は何人くらいの集団だったのであるのか、雨の時の服装とか装備、濡れてはいけないものもの保護はどうしてるのだろうか、孝標女は車に乗ってるのではないかと思うのですが、今のように防水コートがない時代なので、従者たちはどんな格好で旅をしてるのだろうか。しかし、孝標女にとっては日常の出来事なので書く必要は無かった。他に資料を見つけなければわからない事です。