これからの教育

学校制度の見直し
 今の学校制度にはあまりにも問題が多い。いじめ、不登校、落ちこぼれて、若い世代の自殺、学級崩壊、学校崩壊。先生の超勤務時間超過、先生方の精神的疲れによる長期休暇の増大、教員採用試験受験者の減少と教員不足等。良い話題が少ない。思い切った教育制度の根本から変える大改革の発想と大転換が必要である。
 少子化、毎年、子供の出生数が政府より発表される。年々下がり続け、昨年2022年度は80万人を切った。子供手当をつけるとか子供庁を作るとか取り組まれてる。男性の育児休業を取りやすくするとか提案されている。
 小学校の先生は原則として全教科を担当することになっている。教科担任制を取り入れるとか案がでている。先生方の忙しさに配慮したものである。

学校・先生を子供・保護者が選べる制度つくり。
現在の義務教育の制度では児童、生徒に小学校、中学校を選ぶことは出来ない。校区が決められており、そこの小学校、中学校に行くことが決められている。入学すると先生を選ぶことは出来ない。勿論、教育内容、教科書も決められており、児童・生徒に選ぶ権利はない。教科書の内容も指導要領に決まられており、どの教科書も表現の違いはあるが内容は同じである。国は全国の児童生徒に平等な知識技能を保証するためだそうである。
 よく日本人はみんは同じ考えで同じ方向を向いていると外国から指摘されることがある。国際社会では、多様な思考ができる人間が求められる。複雑化する社会、多様化する国際社会、進歩・変化に立ち向かえる人材が求められる。解決が迫ってる問題があるが解決の取りくもとせず、問題の先送り、そのうち何とかなるだろう、誰かが解決するだろうと取り組もうとしない姿勢。みんなについて行けば安心。向上心の欠如。こんは教育をしてるのだと感じる。

学校・先生・指導者は児童生徒・保護者が選ぶ、フリースクール制度
 制度の大改革である。江戸時代は義務教育がなかった。寺小屋などそれぞれの藩が実施していた。しかし、日本の文化は当時の世界レベルより高かった。ただし、鎖国・身分制度、男性社会が阻害した。
植物学者 牧野富太郎は江戸時代末期1862年に生まれた。よく小学校中退と言われるが、それ以前に藩の学問所 明教館で学んでいる。池田蘭光とか師にも恵まれた。植物が好きで好きで子供の時から夢中であった。独学で植物学者となる。東京大学に出入り認められ、助手・講師となる。また、理学博士の称号も与えられた。第一回文化勲章も与えられている。発見した植物は1500種になり、全国植物図鑑発行、人気をえた。今でもこれを超える植物図鑑はないと言われる。
 学習塾がたくさんあります。学習塾の経営はむつかしいそうです。生徒や保護者が選び、評判が悪ければ生徒がきません。これは実話だそうですが映画「ビリギャル」、大変ヒットした映画です。落ちこぼれとレッテルを張られた生徒が、学習塾の講師の指導により、見事、有名希望校の大学に入学した話です。この生徒は現在アメリカの大学院に入学して「学力と指導者との出会い」について研究論文をまとめておられるそうです。
 不登校生徒・児童の増加により、受け入れるフリースクールが各地にできてきているそうです。しかし、公立学校ではまだないようです。
 過日、滋賀県のある市長さんが、フリースクールを新設するという案を出されました。すばらしい市長さんだと応援したくなりました。ところが、文部科学省から横やりが入り、撤回されました。国の教育制度の根幹を崩してしまうものだというのが理由である。

人間は生まれながらにして、一人一人持ってるものが違うのです。
 自分の事を書きますが、子供のときから、絵が上手く書けないのです。文字も美しく書けないのです。いくら練習しても向上しません。習字教室にも習いにも行きました。上達しません。世の中にワープロ・パソコンが出来たことが、とても嬉しかった。でも、指先が不器用なのです。速く入力できません。ですから、楽器の演奏もできません。音楽は好きですが聞くのが専門です。でも、自信を持ってることもあります。
 今では発達障害とか、学習障害と言われ、研究もされてきました。一人一人持ってるものが違うのが人間であり、同じ教育をすることはできないことです。
 小学生の音楽会を見学したことがあります。高学年の部、自由に選択した曲と学級の歌を造り発表されたのです。注目したのは学級の歌です。5年生4クラス・6年生4クラスの歌の内容がみんな同じような感じで、歌詞も「勉強は大変だけども、がんばらなければ仕方ないのだ」といった内容なのです。クラスの夢とか希望とかないのです。次に、高校生制作の映画作品発表会を審査した審査員の感想を見ました。「どの作品もよく似ていた、必ず水辺と大木、男の子と女の子がでてきて、ストリーが似ていた。それに必ずアイドルが出てきた」高校生から見た世の中の課題とか矛盾、悩み、何かに取り組む姿を追求する作品が欲しかったと言うコメントが出ていた。
 小学生4年生5,6人、一緒に何かをしていた。夕方、別れ際、どの子も明日も頑張ろうなと言って帰って行った。同じく中学生の別れ際、明日も頑張ろうぜ。だった。バイバイとかサヨナラとか言う言葉が亡くなったのかと思う。
 今の子どもたち、学校、家庭でも勉強勉強、ゆとりがないのかと思う。
子どもたちも疲れて元気がない。好きなことができない。自主性を伸ばせない。すべての教育者・教育関係者、是非、考え直してもらいたいものです。子供の発達を中心に、子だもが選ぶ学校、子供が憧れる先生選びのの出来る学校制度を是非つくって欲しいものである。