自給自足

自給自足

食料とエネルギーがなくなると人間は生きていけない。今は経済の仕組みと人々の努力で、何とか動いているが将来的には不安がある。不安要素があまりにも多いからである。気候温暖化、戦争、農地の減少、人口の増加、資源の枯渇等とさまざまな問題が地球規模で増大している。

 日本の現状、食料自給率30パーセント代と非常に低い。食料を海外にもとめ、輸入に頼っている。これほど依存している国はすくない。世界の穀倉地帯にも、大きな問題が出てきている。アメリカ、トルコで、地下水を汲み取り過ぎて、地面の陥没、平原の土地に大きな亀裂が走り、地下水の枯渇。牧草地の草が育たなくなって放牧が出来ない。アフリカでは雨不足が続き農地の放棄。気温の上昇による、弊害。農作物が育たない。漁業でも、たくさんの問題が発生。海水温の上昇が影響している。これまで、問題なく、輸入していたのができなくなることです。

 今の人たちは豊かな時代に育ち、飢えに苦しみ餓死者がでるような食料不足の経験はありません。ところが、80代以上の国民は経験しているのです。
 太平洋戦争の頃、終戦直後のことです。食べ物がない、一日どう生きるか、これ程、酷いことはありません。80代の人々は子供でした。子供時代十分食べることが出来なかったこと、思いだしたくもなく、人に話すこともいやなのです。しかし、食料不足は必ずきます。役所も頼りになりません。そのとき、どうするのか、自給自足しかありません。

 日本の農業従事者の平均年齢は70歳以上と言われてます。高齢者です。そのために耕作放棄がどんどん増えていく状態です。しかも、化学肥料、農薬散布で農地の土質がどんどん悪化していることです。昭和30年代ころまでの水田は生き物が一杯でした。生物の宝庫だったのです。水田の水のなかには、さまざまなプランクトン、水生昆虫に溢れていました。カエルもいました。イナゴ、カマキリ、ドジョウ、タニシ、用水路には、めだか、川エビ、もろこ、フナと生き物にあふれていたのです。裏作も盛んでした。稲刈りが終わると、水田に畝を造り、大麦・小麦・エンドウ・ソラマメ・ナタネ、キャベツ等の種まきがおこなわれました。二毛作です。今はほとんどそのままです。少し以前までは、レンゲの種がまかれ、春には、一面ピンク色の花が咲き、うつくしかったですね。緑肥と言ってすきこむと、土が良くなり有機肥料になったわけです。今は見かけません。

 それどころか、春になっても、モンシロチョウ、黄チョウ、アゲハチョウみかけません。菜の花咲いても、ミツバチも来ません、ひばりの鳴き声も聞きません。春はどこに行ったのでしょう。夏になってもトンボの姿みません。草原にたくさんいたバッタ、キリギリス、カマキリなど何処へ行ったのでしょう。見かけるのはカラス・鳩・ムクドリくらいですね。
 最近の調査によると森や山の小鳥は50パーセント以下に減ったそうです。山のならのき・クヌギどんぐりのできる木ですが、幹に虫が入り、次々枯れる被害が出ているそうです。きっと、昆虫を食べる小鳥の減少によるものだと考えます。