本文 1そのつとめて、そこを立ちて下総(しもつさ)の国と武蔵(むさし)との境にてある太井川(ふといかわ)といふが上ノ瀬、まつさとの渡りの津にとまりて、夜ひとよ、舟にてかつがつ物など渡す。乳母(めのと)なる人はをとこなども亡くなして、境にて子うみたりしかば、はなれて別にのぼる。いと恋しければ、行かまほしく思うに、兄人(せうと)なる人いだきて率て行きたり。みな人はかりそめの仮屋などいえど、風すくまじく、引きわたしなどしたるに、これは、をとこなども添わねば、いと手放(てはな)ちに、あらあらしげにて、苫といふものを一重うち葺きたれば、月残りなくさし入りたるに、紅(くれない)の衣(きぬ)上に着て、うちなやみて臥(ふ)したる月かげ、さやうの人にはこよなくすぎて、いと白く清げにて、めずらしと思ひてかきなでつつうち泣くを、いとあわれに見捨てがたく思えど、いそぎ率て行かるるここち、いとあかずわりなし。おもかげにおぼえて悲しければ、月の趣もおぼえず、くんじ臥しぬ。
つとめて、舟に車かき据えて渡して、あなたの岸に車ひき立てて、送りに来つる人々これよりみな帰りぬ。のぼるは止まりなどして、行き別るるほど、ゆくもとまるもみな泣きなどす。幼な心地にもあはれに見ゆ。
訳 その翌朝早くに、くろとの浜を出発、下総の国と武蔵の国境になっているふとい川の上流にある『まつさと』に着いた。そこは渡し場になっている。ここで泊まることになった。夜のうちに、荷物少しづつ舟に乗せて向こうの岸に渡した。
乳母なる人も同行していたが、主人がなくなられて、寂しい中、国境で赤ちゃんが産まれた。そのために一行と別れて、上京することになった。私はとても恋しく心配だった。すでに、一行と別れて別の場所に仮小屋を造り居てるので、会いに行きたくなった。それを知った兄が、私を抱き上げて馬に乗り乳母が寝ている小屋まで連れて行ってくれた。
一行は仮の小屋を造って寝泊りするが、風が吹き込まないように幕などを引きめぐらしたりしているのに乳母の小屋は男手がないためか、たいそう粗末な小屋である。あしやススキなどを刈り取りて、屋根に薄く載せてあるだけだから、月の光がさしこんでいる。月の光を受けた乳母の姿は紅色の着物を上にかけて、病んで横になっている姿はとても色白くきれいで清らかに見える。乳母は私の見舞いを予期してなかったのか珍しく思ったのか、たいそう喜んでわたしをなでなでしながら泣いた。そんは乳母を残し慌ただしく別れるのがたいそうつらく、心残りであった。兄にせかされて帰る道々、乳母の姿が浮かびめいりこんで寝てしまった。
翌朝、舟に車をしっかりと固定して向こう岸に渡した。そして、私たち一行も対岸に渡るとき、ここまで送ってきて下さった人々と別れることになった。互いに別れづらくて、泣きて別れを惜しんだ。幼い私の心にも、いつまでも忘れることのない出来事になっている。
※ 当時 貴族社会では出産した母親にかわり乳幼児の授乳や保育をまかせた。そのために、母親以上に、乳母を慕う気持ちがあるのだと思われる。
※ 太井川 現在の江戸川のこと
※ 当時の旅は野宿なのですね。朝は夜明けとともにたち、予定地に着くのは夕方早めである。