原子爆弾が 1945年(昭和20年)8月6日 午前8時15分。広島に、同年8月9日 午前11時2分 長崎に、おとされた。広島は上空600メートル、長崎は500メートルで炸裂。いずれもパラシュートで落下された。爆撃機は炸裂するまでに山影に逃げた。炸裂と同時に、広島では20万人、長崎では
10万人、何の罪もない市民に死傷者がでた。それだけではない今も原爆後遺症に悩み続け死亡者がでている。街は一瞬で破壊された。炸裂は強い高温の光線と爆風、放射線が襲った。
原子爆弾、核兵器は二度と使ってはならない。しかし、世界では何千という核兵器があり、水爆は広島に落とされた原爆の千倍以上の威力があるそうだ。しかも、今では長距離ロケットや潜水艦からでも発射できる。
二度と使われることがあってはならない。兵器である。
現在、2024年10月11日 日本原爆被爆者協議会にノーベル平和賞が送られた。受賞理由の一つに
いつか、歴史の目撃者としての被爆者は、われわれの前からいなくなるが、記憶に残すという強い文化と継続的な取り組みが、日本の新たな世代は被爆者の経験とメッセージを引き継いでいる。
2024年10月13日の日曜日、サンデーモーニングの番組で、もとプロ野球選手、張本勲氏が原爆被害者であることが紹介された。プロ野球選手として、大記録を沢山残されている。広島出身者であることは知っていたが、爆心地から2kmに住んでおられ被爆者であったことは知らなかった。
張本さんは当時5歳、姉が二人、長女は小学6年生、次の姉は小学1年生,玄関を出ようとした瞬間、ピカッと強い光線、続いてドンという衝撃音がした。母親が次女と自分をかばい3人は倒れた。母親の背中にはガラスの破片がささり、血だらけであった。一番上の姉は勤労奉仕に行くべき学校に向かった。ケロイド状の焼けどに覆われ、熱い熱い、痛い痛いと泣き叫びながら、死んでいった。愛娘が苦しみながら死んでいった姿に母親はどんなに苦しんだことだろう。涙を抑えて話された。
YouTubeにもながされている。張本勲 原爆被害者と入力すると直ぐに出てきます。
現在 2023年アメリカで公開された映画。オッペンハイマー
原子爆弾を造られた天才物理学者の物語れです。実話にもとづいて制作された。栄光と苦悩の生涯を描いた伝記物語である。
アメリカが国家の秘密事項として、開発が進められたが、ソ連(今のロシア)のスパイ、ドイツに先をこされないか心配と警戒の中での開発です。やがて、ドイツは敗戦、まだ、交戦中だった日本に使うことを決定。広島・長崎に落された。何十万という。何の罪もない市民が死んだ。この報告にオッペンハイマーは苦しむ。最後には、この理論を発表した、アインシュタインも登場する。
現在の物理学は多くの物理学者によって、大きく進化した。特に天才物理者のアインシュタインは質量は、エネルギーに置き換えられるというE=mc2の発見である。これが原子爆弾の基礎となった。Eはエネルギー、mは物質の質量、cは光の速度である。即ち全ての物質はエネルギーの固まりであるということである。たとえば、この公式に一円玉は1グラムの質量として持つエネルギーを計算すると次のようになら。
E=0.001㎏×(3×108)2=9×1013j=2.15×1010Kcal 1Kcalは4186J
石油106トンを燃焼させると、1013Kcalのエネルギーが発生する。したがって1グラムのエネルギーは石油2150トンに相当する。ドラム缶に換算すると1万本以上である。しかし、今の技術では1円玉をエネルギーに変えることはできない。