本文 足利山(あしがらやま)といふは、四五日かねておそろしげに暗がりわたれり。やうやう入り立つ麓(ふもと)のほどだに、空の気色(けしき)、はかばかしくも見えず、えも言わず茂りわたりて、いとおそろしげなり。麓に宿りたるに、月もなく暗き夜の、闇(やみ)にまどふやうなるに、遊女三人(あそびみたり)、いづくよりともなく出で来たり。五十ばかりなる一人、二十ばかりなる、十四五なるとあり、庵(いほ)の前にからかさささせて据えたり。をのこども、火をともして見れば、昔、こはたと言ひけむが孫とぴふ、髪いと長く、額(ひたひ)いとよくかかりて、色白くきたなげなくて、「さてもありぬべき下仕(しもづか)へなどにてもありぬべし」など、人々あはれがるに、声すべて似るものなく、空に澄みのぼりてめだたく歌をうたふ。人々いみじうあはれがりて、け近くて、人々もて講ずるに、「西国(にしぐに)の遊女(あそび)はえかからじ」など言ふを聞きて、「難波(なには)わたりにくらぶれば」とめだたくうたひたり。見る目のいときたなげなきに、声さへ似るものなくうたひて、さばかりおそろしげなる山中に立ちてゆくを、人人あかず思ひてみな泣くを、幼なき心地には、ましてこのやどりを立たむことさへあかずおぼゆ。
まだ暁(あかつき)より足利を越ゆ。まいて山の中のおそろしげになること言わむかたなし。雲は足のしたに踏まる。山のなからばかりの、木の下のわづかなるに、葵(あふひ)のただ三筋ばかりあるを、「世ばなれてかかる山中にしも生いひけむよ」と、人々あはれがる。水はその山に三所(みところ)ぞ流れたる。
訳 東海道で一番の難所と言われる、足利山の麓(ふもと)へやってきた。ここを通り抜けるには4日か5日間もかかる。その道中は恐ろしいように暗く、うす気味の悪い道を通るのだと言われている。だんだん入り込んでいく麓でさえ、両側に大木が覆いかぶさり、空が全く見えない、恐ろしいところである。麓で宿をとることになった。そこは月も見えず何の光もないまったくの暗やみである。そのような暗闇の中、道を迷うこともなく、遊女が三人どこからともなく現れた。五十歳くらいの女が一人と、二十歳くらいの女と、十四か十五歳くらいの女である。仮庵(かりいお)の前にからかさをささせて座らせた。一行の男たちが、かがり火を焚いてよく見ると、昔、こはたとかいう少しは知られた遊女の孫というのが、髪がたいそう長く額髪(ひたいがみ)も美しく顔にかかって、色白で、とても上品で小ぎれいである。「これならそれ相当の身分の高い貴族の家に使える下仕(しもづか)えぐらいにしてもいいであろう」とそれぞれ感心していると、声もまったく比べ物にならないほど、空に澄み渡るほど、美しい透き通った声で上品に歌う。人々はとても感心して、そば近くで聞きほれていると、「西国の遊女は、なかなかこうはゆくまい」などと言うのを聞いて「とてもとても西国なにわ辺の遊女にくらべますなら、とてもかないません」と見事に即興で歌で返してくる。見た目がまことに小ぎれいなうえに、声まで誰ともくらべられないほど美しく上手に歌って、あんなに恐ろしい無気味な山の中に立ち去って行く。人々名残りおしく思って、みんな泣くのであった。わたしの幼な心もさびしさと悲しみで一杯でした。なおさらこの仮の宿を、あす早朝に立ち去ることまで心残りに思われた。
翌日まだ夜が明けない前に足利を超える。麓でさえあんなに薄暗い道だったのに、まして山の中の無気味なことと言ったら言葉にならないほどである。登り坂のだらだら道を息を切らして進むのだった。
登るにつれて、雲が足の下に踏まれる感じだ。山の中腹あたりの、木の下のほんのちょっとした場所に葵(あふい)がたった三筋ばかり生えている。これを見た人々は、「こんな人里離れた、山中にまでよく生えているものだ」といじらしく思う。山の中を通りながら気をつけて見てると、水が三か所ばかり流れている谷川があった。
※この章は最も印象的である、暗い森の中、しかも夜の仮屋に三人の遊女が現れた。澄み切った美しい声で芸を披露する。孝標女もいつまでも忘れることが出来ない出来事であった。多分、上総の国の一行が通過すると聞いて訪れたのでしょう。遊女の逞しさを感じる。平家物語に妓王・妓女・白拍子さんが出てきますが遊女と同じなのでしょう。川端康成原作、伊豆の踊子の映画、歴代の大スターが出演、何本も作られてます。ここでは踊り子と呼ばれてますね。いずれも大ヒットしてます。千年前と変わりませんね。
※足利峠 奈良時代以前から、京の都に行くのに通らなくてはならない難所だったのですね。標高750m、歩いて登るのは大変だと思われる。静岡県小山町と神奈川県南足利市の間にある峠、相模の国から駿河の国の入り口だったのです。今では東名高速道路も近くを走ってます。万葉集にも足利が歌われてることから、古くから重要な幹線道路だったわけです。鎌倉幕府を開いた源頼朝も徳川幕府を開いた徳川家康もたくさんの軍勢を引き連れて通過したことでしょう。
足利山は在原業平(ありわらのなりひら)も通りぬけてるのですね。伊勢物語の東下りの中に、宇津の山「いと暗う細さに」とあります。しかし、この山中で、これから都に帰る修行僧に出会います。修行僧に「あなたは業平様ではありませんか」と声をかけられます。都の家族に手紙を書きことづけます。
※南足利市 足利平野にある人口4万人の都市です。金太郎のふるさととかで、市のキャラクターになり、金時山もあります。県道78号線で足利峠へ行けます。峠近くには関所跡とか城跡に造られた公園もあります。ここから、富士山がよく見えるそうです。童謡金太郎の歌詞2番に「足利山の金太郎、けだもの集めてすもうのけいこ」とあります。山の中ですから、熊、イノシシ、鹿、当時は日本オオカミもいたでしょう。